遥かなる君の声
V 33

     〜なんちゃってファンタジー“鳥籠の少年”続編
 



          33



 聖楔結界さえものともしないだろうほどの、破壊的な影響力をこちらへと滲ませつつあった、そうまで強力な負界の力、闇の咒力をまといし“闇の太主”とやら。偽僧正の召喚を受けて、すぐ手の届くほどという至近へまで到着しかかっていたものを、

   ――― 哈っ!

 セナの身へと降りていた“光の公主”が、陽白の咒を紡ぐことで練り上げた力とそれから。そんな彼を護りし白き騎士殿が、その身へまといし聖なる剣と楯とから導き出したものだろう、ブースト効果のある念じの覇力とを叩きつけたその瞬間。

   ――――― 刳剔っ、斬っっ!

 負界の大物がまといし闇の咒力と、光の公主が紡ぎし陽の覇力と。それぞれの世界に滲み入っての食い入り、互いを崩壊させかねぬ規模の大きな生気と生気が真っ向からぶつかり合ったのだから、窟内にはそれは凄まじい衝撃が走りもした。どうっと、質量のある何か塊のような圧が、何の前触れもないまま吹っ飛んで来て、

  「わっ!」

 こちらの陣営、四人と一羽を消し飛ばそうとしたけれど。セナは進がその腕の中へと掻い込んで庇い、蛭魔と葉柱は、聖鳥さんがその翼を広げて守ってくれて。それでも、その身を叩くような圧はなかなか去らず。皆して思わずのこと、ぎゅうと眸を瞑りの、身を縮めのと、防御の構えを取ってしまったのは仕方がない。これでも参らぬかとの執拗に、大きな嵐が暴れて暴れて。時折は足元からその身が浮き上がりそうにされかけながらも、何とか堪えての…ひとしきり暴風が吹き荒れまくった惨状が、果たしてどのくらい続いたものだろか。




  「…ふや〜〜〜。」

 しんとした空間へ、真っ先に響いたものが。セナが上げたそれだろう、何とも頼りない一声であった辺り。
(苦笑) ここまでの苦衷や苦労も、それから…それなり保てていた威厳もへったくれもなくなってしまったけれど。だからこそ彼ららしかったのかも知れなくて。
「セナ様?」
「あ、進さん。カメちゃんを知りませんか?」
 抱っこしていたはずなのに何処にもいないんですようと、他愛なくも狼狽
うろたえているところを見ると。やはり“光の公主”として覚醒していた間のことはあんまり覚えていないらしい。そのカメちゃんが肩先から、真っ白な仔猫へと変身しつつ、
「みゃんっ。」
「あ、そこにいたんだvv」
 ぴょいと跳ねて飛び降りてって、ご主人様の元へと駆けてゆくのを見送りながら、
「…どうよ、あれ。」
 立てた片膝へ腕を乗っけ、石床に座り込んでの苦笑をしつつ。そんな声をかけてきた葉柱へ、
「さてな。」
 背中を借りて凭れていた蛭魔もまた、疲労困憊でございますと言わんばかりの気の抜けた声で応じて見せる。突然現れた進という奇襲への応戦から、追撃の疾走に始まり、格闘やら剣劇やら、大技聖咒の詠唱やらと。ほんの半日ほどの間に まあまあ暴れた暴れた、果たして何年分頑張っただろうか。

 「ほんの5日に1年掛かり、
  ほんの半日にも1年掛かっとるとはどういうこった。」

 うっさいわね、そこはあんたらに言われる筋合いはないぞ…と。筆者にまで構いつけが出来るほど、一段落ついたぞと大きに気を緩めていた面々だったのも、ある意味では仕方がない。それほどの大きな、脅威的な存在が完全に消え去ったこと、彼らの冴えたる感応にて認知したばかりだったから。凶暴で鋭利な毒牙をもっての、音も無くの速やかに。この陽世界を滅ぼし、生きとし生けるもの全てを浚って“虚無”という名の混沌への一体化へと誘
いざなうだろう、悪夢の存在。暗黒の世界の覇者たる一族の、主だった血統の眷属だったらしき魔王格の存在の襲来という脅威が、


  ――― 小さな光の公主の御手から、
       聖なる光の銛、叩き込まれてそのまんま、


       蒸散して果てたのである。


 窟内は、最初に躍り込んだときのまま。石の柱が整然と居並び、タイルのような切り出し面もつややかに、奇麗に加工された石がこちらも真っ直ぐの縦横に積まれた壁には、ガラスの火幌の中に揺れる燈火が灯されており。あれほどの突風が…生気の衝突の余燼が暴れまくった後とは思えぬ静まりよう。彼らの気持ちが安堵から緩みまくっていたのは、邪悪な気配がなかったからこそではあるが、

  ――― ふと。

 何の気なしに巡らせた葉柱の視線が、とあるものの上にて止まって動かなくなる。
「………あ。」
 萎えていた背中がぐんと伸びたことへ、そこへと凭れていた身を押された格好になり、
「何だ何だ?」
 いきなりどうしたと肩越し、振り返りかけた蛭魔の視野の中、

 「………?」

 進が不意にセナを掻い込み、今度こそはとの意識をした上で、その肘の青い楯を外へと向ける。途端に“ヴンっ”という唸りが生じ、彼らを覆うは光の防御。
「? なんだ? もう何も召喚されては来ねぇって…。」
 言いかけた蛭魔がハッと身構え、
「しつけぇな、闇のもんはよ。」
 自分の背後へと手を回すと、マントの下、佩へと差していた三日月型の護剣を鞘ごと抜きながら立ち上がる。彼らがその視線を向けた先では、

  「…グロックスの、砂?」

 光の公主が攻撃したことで、その玻璃の胴鼓へ蓄えていた赤い砂を周囲へと撒き散らかしながら四散して砕けたグロックス。壁に据えられてあった明かりからの光を受けて、ちかちかと瞬くように煌くそれらは、真っ赤なもやのようになって宙を舞っていたが、

  《 おお…おおお…。》

 やはり嵐にもみくちゃにされたのだろう、ご大層だった衣紋をぼろぼろに擦り減らし、失意のまま、哀しげな慟哭を漏らしつつ、膝から頽れ落ちた老爺の手元へとこぼれて煌いていたそこへと、一斉に集まってゆく。不吉な光を帯びたまま、命ある生き物のように地を這うと、その容積を不自然なほどにも増やして蠢き回り、

  ――― うああぁがぁぁ………っっ!!

 グロックスの中に封入されてあった砂。彼自身がかつての昔、陽白の一族からの眸を誤魔化すためにと、自分の身から分散して炎獄の民へ分け与えておいた“闇の咒力”を、回収した折の仮りの保管道具でもあったらしいそれであり。進から浄化され弾き出された咒力を回収した分が…それが帯びていた闇の力が、元の持ち主の許容を越えるまでの力と化していたようで。

 「まずいぞ。」
 「ああ。あれは…負の咒力。」

 全身へ赤砂を張り付けての煌かせ、逃れ得ぬ侵食に苦しみもがく当人へは、自業自得だ、助けようがないことへさしたる案じの心も浮かばぬが。

  「ここは聖なる気脈の真下だぞ。」

 王城キングダムの主城の地下にあったあの泉の古跡を核とし、この大陸全土の隅々へまで、その奇跡の生気を、聖なる気脈を巡らせている主幹流の真下。そんな場所で、あんな禍々しいものが弾けたらどうなるか。
「…どうなるんでしょうか。」
 小さな仔猫を抱えたまま、セナが恐る恐る訊いて来たのへ、
「この大陸はあっと言う間に瘴気に染まる。」
 蛭魔がこともなげに、あっさりと答えてやった。
「信仰の力こそ健在だとはいえ、昔ほど…俺らほどには、そうそう奇跡や聖なるものを信じなくなってる人々は。呪いへの抵抗力が落ちてる今、あっさり呑まれて生気を侵され、その魂も歪みから負世界へ…虚無の海へと沈められちまう。」
 何の抵抗もないままになと、他人事のような言い方をするお師匠様へ、
「そんなっ。」
 セナが悲痛な声を上げたものの、
「こんな場、こんな時に、いくら俺でも冗談は言わねぇよ。」
「…っ。」
 切りつけるような眼差しで彼が睨み据えてる先では、もはや手の打ちようはなかろう侵食を受けた元僧正の老爺が、断末魔のあがきを見せており。そこから視線をもぎ離すようにこちらへ振り向くと、
「いいか、セナ。さっきの力をもう一回だ。」
「えっ?」
 闇の力を相殺するは、陽白の力の他にはなく。あの調子で増殖をする代物だというのなら、この場にて早急に始末をつけねば間に合わない。だが、

  「…そんな悠長な仕儀を構えている猶予はなさそうだ。」

 相手へと視線を向け続けていた進が、静かなお声でそんな言いようをし、
「何が…。」
 判ったようなことを言うなと言い返しかかった蛭魔が…思わずのこと息を飲んだのは。その全身を赤砂に覆われた老爺…だった存在が、人の形を保っていられぬのか、肢体のバランスが大きく崩れたり、はたまた、ザッと足元まで崩れ去りかかっては、軟体動物のようにムクムクと盛り上がって蠢いたり。
「塊に近い格好でまとまっている今のうちに何とかせねば、意志を飲まれての昇華され尽くし、砂粒の個々が勝手を始めるやも知れぬ。そんな膨大な単位で四散されては厄介だぞ?」
 淡々と語るそれが、違えようのない事実だからこそ、
「ああ、違いねぇ。」
 さっき召喚されかけていた闇の何とかのような、世界を一瞬にして呑むほどもの絶対的な影響力はないだろう。だが、陽の祝福を負力で塗り替えて魔物や邪妖を生み出し、別の不幸や不吉を招く礎になら、十分なり得る禍々しき存在。そんなものがこの大陸を覆ったら? それも、聖なる気脈を侵食しもっての拡散とあっては、数少ない導師たちが総出で立ち向かっても歯が立つものではない。今の今、この場にて、なんとかせねばならぬことだ。

  ――― だが。

「…。」
 不安そうにそんな惨状を見やるセナからは、先程までの、威容さえはらんでいた“光の公主”としての存在感は もはやない。忘我状態にあったことから集中しやすかった彼であっても、結構な間合いを使って…ああまでの手間をかけてやっと力を練り上げられたセナに。もはやトランス状態も解けている身で、今度は一瞬にしてやって見せろと言ったところで、まずは無理な相談だろう。

 “とはいえ…だ。”

 それしか手はないというのも事実。自分や葉柱がどれほど大きな咒を唱えても、ああまで精力の強い“闇の咒力”を相殺浄化するのは不可能だ。選択の余地はない。

  「…出来るか?」

 少なくとも、自分がどうにか出来るレベルではないことだと最初
はなから断じて、他人事というお顔で見ていたセナではない。問われて、だが、怖じけてか視線が動かなかったセナへ、
「此処まで自分の足で来れたことを思い出せ。」
「蛭魔さん…。」
 叱咤するような強引な声ではなかった。静かで低い、落ち着いた声音。
「無論、お前の力だけで出来たことじゃあない。進が掻っ攫われたってことで自分から立ったお前には違いねぇが、ところどこでは蹲
うずくまりたくもなってたよな?」
 辛かったこと、哀しかったことが、いっぱいいっぱい押し寄せた。何とかしたいと立ち上がったセナだったけれど、自分がいかに微力かを思い知らされ、相手がいかに強靭な壁であるかを思い知らされ。そのたびに心裂かれて傷ついては、立っているのが辛くもなった。
「…。」
 その当の進の懐ろで、こくんと頷く小さな御主へ。
「…。」
 寡黙な騎士が、敢えて黙して彼の声を待つ。進だけではない。剣を構えたままの葉柱も、純白の小さな仔猫に変化した聖鳥も、それは真摯な眼差しで、我らが小さな主上、光の和子を見守っている。殊に、導師二人は、同じ道中にてセナがどんなに心痛めていたか、やはり黙って、若しくは励ましながら。見て来た、支えて来た人々であり。そんな彼らだけでなく、
「立ち止まるたび、たくさんの支えもあって。それで此処まで来れた。それは覚えているよな?」
「…。」
 やはり無言のままながら、だが、今度はしっかと、深々と頷いたセナであり、
「それは…その連中が皆して、お前の背中を押してくれた、お前を見込んでくれたからだろうがよ。」
 案じながらもセナを送り出して下さった、国王陛下や皇太后様、高見さんや王城の方々。葉柱さんをあらためてセナの護りにと送り出して下さった、アケメネイの惣領様。アクア・クリスタルを授けて下さった、聖域の聖霊の筧さんと水精の水町さん。泥門の庵で蛭魔さんや桜庭さんを待っている、武蔵さんや栗田さん。大地の精霊のドワーフさん。

 “…それだけじゃあない。”

 炎獄の民の主幹格、阿含さんを筆頭にしたあのおっかなかった人たちも。セナが育った南のあの村の人たちとかまもりさんだって。進さんのお師匠様のシェイド卿だって。もっともっと他にだって、セナや此処にいる皆を支えてくれた人たちがいる。恩返しとかいう滸
おこがましいことじゃなくて。そんな人たちが支えてくれた、貸してくれたその力を、此処で発揮しないでどうするかと。

 「…。」

 黙ったそのまま、少しばかり俯いていたのは。だが、迷っていた心許なさからではなくて。水を得た野花の茎が立ち上がるように、ゆるやかにピンと伸ばされた背条。力みはないながらもやはり悠然と構えられた小さな肩。いつだって頼りなげだった繊細さやか弱さが、今はきっぱりと拭い去られており。そんな少年の、まとまりの悪いクセっ毛の乗った頭が、ついと上がって…一言を紡ぐ。


  「出来ます。」


 言ったそのまま、もはや問答は無用と振り切るように。蛭魔や葉柱には背中を向けて、仄暗い窟の奥向き、禍々しき赤光をまとった砂の塊へ向き直る。真後ろに立っていた進も、なめらかな動線にてその身を退け、それから。あたらめての護りにとセナの向背に立つと、両の腕にて主上の身を取り巻く環を作った。彼自身の意志にての念じの防御。咒力はなくとも強靭な精神力があればこなせるという、あの一休という少年が見せた気功術の最たるものを思い出してほしい。殻器を持たぬ存在を、攻勢の気合いで吹き飛ばして圧倒したあの技を、先程の一幕でも…装備していた聖剣や水晶の楯による増幅という助けを得つつも、光の公主の覇力への援護として、見事にこなしていた彼であり。今もまた、そんな意識はないながら、自分の集中とそこに宿りし祈りが…強い念じが、セナの身を守る助けになるのならばと、その一心からの防御に専念しているだけのこと。

 「天翔るは、天龍。天下るは、天狼。
  光ある者は我の命を聞け。
  鳳凰の翼もて、漆黒墨夜の濁りを全て、吹き払え。」

 先程これを蛭魔から聞いた時は、公主が降りてのトランス状態にあったセナだった。とはいえ、これ自体は…白の咒の覇力をどこまでも高めて高めて膨らませる時に唱えると、ずっと以前にお師匠様から教わっていた咒詞でもあったから。心のどこか、引き出しのすぐ手前に引っ張り出されていたものを、そのまま復唱し直す彼であり、

 「数多に宿る陽白の祈りよ、今ここに、我に集えっ。」

 小さな手を懐ろの前にて合わせ、白い指をしっかと組み合わせる。目の前には、禍々しい赤い光を波打たせ、今にも爛れて崩れ落ちんと蠢きもがく、人の形だった“もの”がいて。己れの野望にその身を埋めての食い尽くされて、もはや人格意識も入れ替わり、幽鬼のようになっている愚かな闇の者。枯れて乾いた老爺でいた時もどこか尋常ではない存在ではあったれど。こうまでの侵されようは、痛々しくも不気味で怖く。いつものセナなれば直視することさえ不可能だったはずだろに、
「天翔るは、天龍。天下るは、天狼。光ある者は我の命を聞け…。」
 それどころではないと言うのは容易い。集中を乱されての思考が固まったって不思議ではない、極めて苛酷で凄惨な状況下だのに、それでも屈せず、念を集めようとの集中を途切れさせぬセナであり、
「俺らも結界を張っといた方がよくないか?」
 ご主人様の集中の邪魔をしてはいけないと思ったか、小さな仔猫が軽快な身ごなしで足元へと戻って来たのを大きな手のひらにて掬い上げてやりながら。黒髪の導師様がそうと蛭魔へ持ちかけたのは。セナを信じないのではなくて、どんな膨大な嵐が吹き荒れるかもしれないとあって、この地底の底を支える岩盤が崩れ落ちて来ては元も子もないから。それを用心しての葉柱の言いようへ、
「…ま、やんねぇよりかマシだろな。」
 あくまでも澄ましたお顔のまんま、蛭魔が相変わらずの減らず口を叩く。壁にかかっている灯火とそれから、セナがその手へ集めつつある陽白の覇力の余燼でか。窟内はまだ ほんのりと明るいが、もっと地表に流れているのだろう聖なる気脈の気配は微塵も感じられず。届いていては…闇の咒力をばら蒔いてしまうのだから剣呑なれど、影響を拾えないままなのが少々心許ないっちゃなくて。

  「〜〜〜〜〜。」

 それぞれに意識を張り詰めさせると、進がそうしているように両腕をゆるやかに開いて。二人の導師がその身からの咒力を放出させる。此処まで辿り来るのに、どれほどの働きをしたか。途中途中の戦いにてどれほどの打撃をこうむったかを思えば、その消耗はとんでもないことなはずだのに。こんな風に立っていられることさえ奇跡なほどに、疲労困憊しているはずだのに。それでもと意識を振り絞れるのは、もはや彼らの意志の、信念の強さの賜物ということだろうか。セナが集中していることで、隙をついてか威勢を上げかかっていた闇の力の欠片たちも、新たな白の咒に捕まっては片っ端から浄化されているそんな中、

  「…。」

 セナの気配に何かが降りた。いやさ、意識の変化はないままだから、彼なりにその咒力を一応の臨界点間近まで、自分の制御にて引っ張り上げられたということか。よっしとにんまり笑ったお師様が、だが、

 “…あれは?”

 肩越しに彼を見やって…そのまま息を呑んでハッとした。セナを護りし白き騎士の身にも、奇跡が再び起こりつつあったからだ。その肘へと装着されていた水晶の聖なる楯が、不意に輝きを増し始めている。その輪郭を白く発光させてゆき、そのまま、進の腕に添うように、上と下へと縦に長く伸び始めた。蔓のようにと細くではなく、だが、何物かの成長を思わせる伸びやかさでスルスルと。幅を細めつつの長く伸びたその形態が、次には上の側、彼の肩の側から切り込みを刻み、その身を二つに割ってゆく。
「…何が起きてんだ、あれ。」
 葉柱もまた、思いもよらない現象に気づいたらしく、怪訝そうな声を出す。元はと言えば、アクア・クリスタルと呼ばれし水晶のオーヴだったもの。それをドワーフの技により鋳込んだ細身の聖剣が、セナの振るった力を得て変形し、聖なる力を放つ楯となり、先程まで進の腕へと装着されていた…のだが、
「この期に及んで、また変化しようっていうのかよ。」
「ああ。」
 アクア・クリスタルは邪妖や魔族との戦いに目覚ましい威力を発揮する剣を生み出すと、聖霊の筧は言っていた。その威力を存分に発揮出来るに相応しい形状へと、今、その姿を変えようとしているのなら、

  「任せとけって、ことなんじゃねぇの?」

 にやりと不敵に笑った蛭魔の白い顔容を、なおの白で照らし出し。聖楯だった水晶の剣、その身を半分に分かつていたその裂け目が、進の手首、いや甲の上だろうか、そんな辺りを支点にし、周囲へ金色の光を振り撒きながらヴァッと勢いよく上下へ弾ける。上背がある進の、その背丈と同じほどという長さとなった光の装備。両手持ちの大剣や長い槍に似た形状にも見えなくなかったが、進の手元からの上下対照に、緩やかな弧を描いているその形はむしろ、

  「弓、だよな。」
  「ああ。」

 金属であった筈な装備そのものが、なのに…奇跡の力を帯びての脈打ち、内側から発光しているものなのか。きっと聖なる力の放出だろう、燦然とした輝きが収まらず、輪郭まではまだ判然とはしないままなれど。それでもこうまでくっきりした形状を示せば、それなり、武器には詳しい葉柱や蛭魔にはおおまかな正体くらいは把握出来。ただ、
「単なる“形”ってことだろうか。」
 直接 刃を振りかざし、相手へと駆け寄って斬りつけるのではなく。何をか射出するという攻撃をしますよと、そういう段取りだというのは判ったが。では…その弓で何を放つというのだろうか。見えない弦を構えて引けば、生気を込めた何物かが現れるのだろかと、もはや自分たちの手は及ばない仕儀を、ただただ息を呑んで見守っていた導師たちであったのだが、

  「………。」

 胸板の前、指を組み合わせての一心に念じていたセナが、その小さな手を双方とも、自分の胸板へと伏せると………。

  「…なっ!」
  「セナっ!」

 瞼を降ろしたままのその彼の、真摯な表情に動きはなくて。だが、その手が再び少しずつ浮いて離れたその下から、信じ難いものが現れたものだから。どれほど肝が座っていようと、どれほど覚悟を決めていようと関係ない。ついの声が自己制止も振り切ってという勢いにて、それぞれの口から飛び出してしまっていた蛭魔や葉柱であり。小さな公主の細い肩、薄い胸板をそれが深々と貫いていたようにさえ見えたもの。水晶の聖剣の一番最初の形、細身の聖剣を思わせるような、真っ直ぐで長い何物かが、セナの胸、懐ろからするりと引っ張り出されつつあったから。

  「…。」

 痛みはないのか、セナの表情には依然として変化はなく。真っ直ぐ伸ばし切った彼の、腕の尋と同じ長さの何物か。やはり光の塊のようで、輪郭は判然としない存在なままであったが、ふっと小さく瞬いてその双眸を開いたセナは、捧げるように伸ばした自分の両手の間に浮かんでいる光の矢を、だが、驚く様子もなく見下ろすと、そぉっと小さな顎を上げ、自分の肩越し、頼もしい守護の騎士へと目配せを送る。彼ら同士には何らかの了解があるということか、その頼もしき腕の中に護りし主上からの指図を受けて、進もまた、無言のままに目顔での会釈を返すと…その光の矢を右の手へと掬い上げる。王城最強の騎士は、剣や槍や体術のみならず、弓術にも長けているらしく。半身に構えたその身の前へと、ゆるやかに延べた腕の先。彼には触れられるものであるのだろうか、高密度の光が凝縮したかのような、目映いままなる大弓を、標的に向け固定をし。やはり目映い光の矢、つがえてそれから、背条を伸ばす。目には見えぬが弦があるのか、弓はぐんぐんとその弧を丸め。それを引き絞る騎士殿の、神々しいまでに凛とした横顔に重なるは。その懐ろに護られし、小さな、だが、こちらもやはり清冽な眼差しをその先へと向けたままな、光の神子様の張り詰めた表情で。ああ、君がそんなにも強靭なお顔になったところ、初めて見せてもらったね。何にも揺るがぬ揺るがせぬ、意志の強さを少しずつ。数多の苦難や艱難、歯を食いしばって乗り越えながら。大切な人を案じての、心細さに耐えながら。ここまでのものへと築き上げたんだよね。

  「…セナ様。」

 ぎりぎりと。引き絞られた弓を支える雄々しき腕へ、小さな手がそっと添えられて。小さな顎が引かれての、しっかとした是という合図を受けて、進が深々と息を吸い、見定めた幽鬼へ、照準を固定する。そして……………………………。


















 
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  *いやはや、お疲れ様でした。